ショパンにささげる171時間のマラソン・コンサート、ポーランド<国際ニュース : AFPBB News> [音楽(クラシック音楽)]
こんにちは、こういちです
今年2010年は、フレデリック・ショパン(Frederic Chopin)生誕200周年の
メモリアル・イヤー。
2010年2月22日(洗礼証明書に記載されるショパンの誕生日=1810年2月22日)、
ショパン生誕国のポーランド・ワルシャワ(Warsaw)で、
ショパン生誕200周年を記念する171時間連続マラソン・コンサートが
開幕しました。
このコンサートには、総勢250人以上の歌手や音楽家が参加した、との事。
本年2010年3月1日(ショパンの誕生日の第2説=1810年3月1日)においても、
ショパンのコンサートが開催されます。会場は、ワルシャワ王宮と、
生誕地のジェラゾヴァ・ヴォラ(Zelazowa Wola)です。
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ショパン生誕200周年の皮切りコンサート、ラン・ラン氏が演奏<国際ニュース : AFPBB News> [音楽(クラシック音楽)]
こんにちは、こういちです
2010年は、
ショパン(フレデリック・ショパン/Frederic Chopin)
生誕200周年
という、メモリアル・イヤーであることを、
当該AFPBB News記事を読んで知りました。
ショパンの故国のポーランドの首都・ワルシャワ(Warsaw)で、
2010年1月7日(現地年月日)、生誕200周年記念イベントの
開幕コンサートが開催されました。
同コンサートでは、ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団
(Warsaw Philharmonic)と、ピアニストのラン・ラン(郎朗、Lang Lang)
が共演し、ショパンの傑作の数々を演奏した、との事。
本年2010年は、ショパン生誕200周年を記念して、約2000のイベント
(コンサート、展覧会、映画、演劇公演など)が企画されており、
とりわけ生誕日の本年3月1日には、ワルシャワで世界的なピアニストら
による誕生記念コンサートが開催されることもあり、
ショパンファンはもとより、クラシック音楽ファンにとっても
楽しみですね。
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【1月8日 AFP】ポーランド出身の作曲家フレデリック・ショパン(Frederic Chopin)の生誕200周年を記念する一連の催しの皮切りとなるコンサートが7日、同国の首都ワルシャワ(Warsaw)で開かれた。
テレビ中継された開幕コンサートでは、ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団(Warsaw Philharmonic)と中国気鋭のピアニスト、ラン・ラン(郎朗、Lang Lang)氏(27)が共演し、ショパンの傑作の数々を演奏した。
コンサートに加えて展覧会、映画、演劇公演など、約2000のショパン関連のイベントが年内に企画されており、ショパンの生誕日である3月1日には、ワルシャワで世界的なピアニストらによる誕生記念コンサートが行われ、テレビ中継される予定だ。(c)AFP
モーツァルトの死因は連鎖球菌性咽頭炎からの合併症、オランダ・アムステルダム大研究<国際ニュース : AFPBB News> [音楽(クラシック音楽)]
こんにちは、こういちです
ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart)
の死因は、毒殺、自殺など、映画やミュージカルで描かれていますが、
どれも信憑性は薄く、未だ解明されていないのが事実です。
本AFPBB News記事によると、モーツァルトの死因は、連鎖球菌性咽頭炎
からの合併症だったかもしれないとする研究結果が発表された、
と報じられました。
詳細については、AFPBB News記事の引用文を参照します。
【8月19日 AFP】35歳で死亡したオーストリアの作曲家ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart)の死因は連鎖球菌性咽頭(いんとう)炎からの合併症だったかもしれないとするオランダ研究チームの研究結果が18日、米学術誌「内科年報(Annals of Internal Medicine)」に発表された。
モーツァルトの死因については、毒殺、腎臓疾患、さらには生か加熱の不十分な豚肉を食べたことによる寄生虫性疾患である旋毛虫症などさまざまな説が流れてきた。
しかしアムステルダム大学(University of Amsterdam)のリチャード・ジーガーズ(Richard Zegers)氏を中心とする研究チームは、1791年11月から1972年1月までのウィーンの死亡記録を調べ、モーツァルトはウィーン(Vienna)で連鎖球菌性咽頭炎に感染し、1791年12月に死亡したと結論付けた。
モーツァルトの死亡証明書によれば、死因は発疹を伴う熱の一種だという。しかし研究チームは、この診断結果は病名というよりは症状を説明したものだと解説した。
さらに炎症性の発熱だったという目撃者の話があり、これは連鎖球菌性咽頭炎の症状と一致すると研究チームは主張している。
最終的には連鎖球菌性咽頭炎にみられるひどい腫れ物、けいれん、発熱、発疹などを引き起こし、急性腎炎である糸球体腎炎へとつながった。
義妹のゾフィー・ハイベル(Sophie Haibel)は30年後、腫れ物がひどくてモーツァルトは寝返りを打つこともできなかったと語っている。しかし意識はあり、死ぬまで精神状態は良好だったという。
同研究チームは可能性は低いとしながらも、死因が猩紅熱(しょうこうねつ)だった可能性もあるとしている。この病気にかかったのはわずか2週間だった。
モーツァルトは最後の数か月、創作に励み、オペラ「魔笛(The Magic Flute)」を完成させ初演を指揮し、温泉を訪れ、クラリネット協奏曲を作曲した。さらに、未完に終わったが「レクイエム(Requiem)」の作曲にも取りかかった。
その可能性はないとされて久しいが、ライバルだったイタリア人作曲家アントニオ・サリエリ(Antonio Salieri)によって毒殺されたのではないかとも言われた。サリエリはモーツァルトの才能を特にねたんでいたと考えられている。(c)AFP
また、Yahoo!ニュース・時事通信社の記事についても、引用、掲載します。
モーツァルト死因は連鎖球菌?=「感染で合併症」の新説-オランダ研究者
8月19日14時27分配信 時事通信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090819-00000077-jij-int
【ニューヨーク時事】オランダにあるアムステルダム大の研究グループは19日までに、18世紀の作曲家モーツァルトは連鎖球菌に感染して喉頭炎を発症し、合併症である急性腎炎によって死亡した可能性があるとの新説をまとめ、米国の内科学紀要に発表した。
モーツァルトは35歳だった1791年12月、ウィーンで世を去った。死因に関しては、毒殺やリウマチ熱など諸説あり、毒殺説を基にプーシキンの戯曲「モーツァルトとサリエリ」や映画「アマデウス」(1984年)が生まれた。
研究グループは当時のウィーン市民の死亡記録を調査し、若い世代の間で全身のむくみというモーツァルト同様の症状を呈した死亡例が急増していたことを発見。この症状をもたらす連鎖球菌感染症の小規模流行があったと推論し、モーツァルトも犠牲になった恐れがあると指摘した。
最終更新:8月19日15時7分
モーツァルト未発表作品、ザルツブルクで演奏 幼年時代に作曲<国際ニュース : AFPBB News><Yahoo!ニュース> [音楽(クラシック音楽)]
モーツァルトの未発表曲、オーストリアで初披露
8月3日15時38分配信 ロイター
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090803-00000590-reu-ent
こんにちは、こういちです
モーツァルトの曲は、クラシック曲の中で最も心を穏やかにしてくれます。
このほど発見された未発表曲に、ケッヘル番号は付けられるのでしょうか。
W.A.モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart)が7、8歳のころに作曲したと
される未発表曲との事で、天才の予感を幼年期から見せていたのでしょう。
「エリーゼのために」は誰のために?<AFPBB News> [音楽(クラシック音楽)]
こんにちは、こういちです
「エリーゼのために」とは、ベートーヴェンの代表曲の一つ。
ベートーヴェンの筆跡は、極めて悪筆として知られています。
現代に知られる「エリーゼのために」の楽譜も、彼自身の悪筆の
ために、タイトルを読み取ることができなかったとのこと。
楽譜のタイトルを辛うじて読み取った末に「エリーゼのために」
と名付けられたという。
ベートーヴェンの「エリーゼのために」には、
このようなエピソードが残っています。