あけましておめでとうございます、こういちです

現在私は、2008年5月から失業状態にあり、求職活動を行っています。
既に、ハローワークに求職者登録を済ませています。
希望職種は、電子機器のマイコン組み込みソフトウェア研究・開発です。
希望企業は、希望職種であるマイコン組み込みソフトウェア研究・開発部署を
擁する電機・機械製造業です。(←2008/01/11追記)


前の会社を辞めてからのこと。母親や実姉から、実家の家計が逼迫するから
派遣に入ってでも金を稼いでこいと、派遣就労を強要されたこともありました。
しかし私は、あくまで希望の職種で正社員として働く途を選びました。

2008年秋には、もう既にニュース等でご存知のように、自動車業界と
半導体業界と輸出産業の不振をはじめとする世界同時景気低迷が襲いました。

この世界同時景気低迷による、派遣労働者の解雇が顕著化した2008年暮れには、
母親や実姉の、派遣就労を強要するような言はほとんど無くなりました。
ちなみに私の地元の新潟県内では、派遣労働者の解雇は既に、2008年秋から
始まっていました。


さて、派遣就労について。
製造部門への派遣就労が解禁されたのは、2004年のことです。

2004年6月、当時在籍していた常用型派遣会社の東京・立川市内の営業所へ
出張へ行った日のこと。
同じオフィスルーム内にあったグループ会社のほかの常用型派遣会社の
打ち合わせを盗み聞きしました。
その内容は、
「今年(2004年)の7月第2週の月曜日から、日野自動車(日野市)で働いてください。
作業服はこちら(常用型派遣会社の営業社員)で用意します。」
というものでした。
盗み聞きした瞬間私は、あっち(日野自動車での仕事)の方がおいしいな、
と感じました。
上の打ち合わせの結果が、2008年暮れの派遣労働者の大量解雇というのは、
もう言うまでもありません。


2004年9月、地元の新潟市内で、私の最初の求職活動を始めた時のこと。
タウンペーパーでは、自給ン千円での派遣労働者の募集広告が、所狭しと
踊っていました。ハローワークでも、派遣就労を斡旋する職員も散見されました。
(私は、ハローワークからの派遣就労斡旋&非正規就労斡旋を拒否し続けています)
(また私は、ハローワークやリクナビNEXTからの、客先常駐=派遣まがいの
ソフトウェア開発会社の紹介について拒否に近い形で敬遠しています)
(←2009/01/11追記)

派遣就労について私は、短期間で金を稼げるかもしれないが、正規雇用と
違って労働環境が脆弱であること、いったん派遣労働に就いたら、
正規雇用に戻るのは難しいと考えています。

次に非正規雇用について。
コールセンターのオペレーターといった非正規従業員の募集による雇用の確保と、
非正規従業員の増加による完全失業率の減少データは、正規従業員の減少に
繋がるただのまやかしに過ぎない、と私は考えています。

昨年(2008年)暮れから顕著化した「派遣切り」と失業者の急増については、
派遣就労や非正規就労を斡旋し続けたタウンペーパーやハローワーク・労働局に
責任があります。

リストラによる失業者対策のため、再就職支援活動によって派遣就労を斡旋し続けた
再就職支援会社にも責任があります。
(私が2004年4月末に最初のG社をリストラ退社した当時、G社が再就職支援活動を
依頼した会社は、大手人材派遣会社P社のグループ会社である再就職支援会社でした。
同時期にG社をリストラ退社し、当の再就職支援活動を行った者がいました。
再就職先は製造業派遣会社でした)

また、すぐに金を稼げるからと安易に派遣労働や非正規従業員募集に飛びついた、
現在は失業者になった元派遣従業員や元非正規従業員にも、自己責任があります。