こんにちは、こういちです

第二次大戦(WWII)中、民間人のアンネ・フランク(Anne Frank)と
フランク一家らをナチ(Nazis)から守り、フランク一家らが
強制収容所に送られた後、アンネ・フランクが遺した日記
(後の『アンネの日記(Diary of Anne Frank)』)
を発見し、守り通した功労者が亡くなりました。

功労者のヒース女史の死去を悼み、心から冥福をお祈り致します。

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【1月12日 AFP】(一部更新)ナチス(Nazis)ドイツから『アンネの日記(Diary of Anne Frank)』を守ったミープ・ヒース(Miep Gies)さんが11日、オランダ・ホールン(Hoorn)で死去した。100歳だった。ヒースさん自身のウェブサイト(www.miepgies.nl)で、明らかにされた。ヒースさんは最近になって、病を患っていたという。



 ヒースさんは、第二次世界大戦中のナチスドイツ占領下のアムステルダム(Amsterdam)で、ユダヤ人のアンネ・フランク(Anne Frank)一家の隠れ家生活を支えた最後の生存者だった。



 ヒースさんのウェブサイトによると、ヒースさんは1909年ウィーン(Vienna)生まれ。11歳のときに、オランダに移住した。



 1933年からアンネの父親オットー・フランク(Otto Frank)氏が経営するオペクタ(Opekta)商会に勤めていたヒースさんは、1942年からオペクタ商会内の隠れ家にいたフランク一家と別の家族に、自らの危険を冒して食料を届けた。だが1944年、隠れ家はナチスの秘密警察に発見され、一家は強制収容所に送られた。その後、ヒースさんはアンネが書いた日記を隠れ家で見つけた。



 ドイツのベルゲン・ベルゼン(Bergen-Belsen)強制収容所に送られたアンネは、そこで病死したが、父親のオットー氏は、アウシュビッツ・ビルケナウ(Auschwitz-Birkenau)強制収容所から生還を果たし、ヒースさんはオットーさんにアンネの日記を手渡した。



 危険をかえりみずにフランク一家を支えたことについて、ヒースさんはかつて、アンネ・フランク記念館「アンネの家(Anne Frank House)」を通じて、「一家を助けるために、できることをしただけだ」と述べている。(c)AFP