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米女児監禁、被害者の「苦悩の日々」明らかに ドゥガードさんの日記公開<国際ニュース : AFPBB News> [社会ニュース(三面記事)全般]



こんにちは、こういちです

昨年2009年米国カリフォルニア州で発覚した、
女性(事件当時は11歳の少女)略取・18年間監禁・暴行事件の続報記事が、
AFPBB Newsから配信されたので、本ブログに記録します。

当事件の犯人の裁判が、年が明けた2010年に始まっている、との事。
犯人の裁判において、被害女性の日記が、検察側の資料として
裁判所に提出されたと、AFPBB Newsは報じています。


当該記事に記述されている年代とその当時の女性の年齢、
及び日記の記述を、私的に整理してみます。

[1991年(事件発生):11歳]

1993年:13歳(当該記事に記述されている、被害女性の日記の最初の年)
彼ら(犯人と、犯人の妻)は、ほかの誰もしてくれないことをしてくれた
200ドル(約1万8000円)も払って、わたしに子ネコを買ってくれた」

2003年9月:23歳(自由になることへの切望と、犯人への複雑な感情が明確にされている)
彼(犯人)を傷つけたくないときどき、わたしの存在が彼(犯人)を
傷つけているようにみえる
「だとすれば、自由になりたいという気持ちを、どうやって彼(犯人)に
伝えればよいのだろう。わたしが願うだけで、自由がやってくればいいのに
家族がいることを伝えるのは自由。でも、これをできる限り抑え込めば、
彼(犯人)に苦しみを与えないで済む。自由」

2004年:24歳(気力を維持するのが困難になっていた)
「沈んでいくような感覚」
「やっぱり自分の人生を自分で決めたい自分のしたいようにする
わたしの人生のはず。でも、また、彼(犯人)が奪っていった

[2009年8月(救出、犯人逮捕):29歳]


さて、この女性略取・18年間監禁・暴行事件について私は、以前本ブログで、
以下の事項を書きました。


人々はよく、長期監禁事件の被害者に対して、
どうして逃げなかったのか?
と言います。

しかし、この事件の被害者の様に、あらゆる略取・長期監禁事件の被害者は、
犯人から
逃げることができなかったからです。
なぜならば、
犯人から四六時中、脅迫され続けられ、
時には犯人から暴力を与えられ続けられ、
常に恐怖を与えられ続けられたから
に他なりません。

ましてや、
11歳という少女期(日本の場合小学生の少女に相当)なら、
いつも恐怖に怯え続けたのは至極当然の事です。



さて、当該事件において犯人は、
「自分の宗教団体(もといコミュニティー)を作りたい考えている宗教原理主義者」
との証言が、犯人の自宅近所の住民から取れていると、関連AFPBB News記事は
報じています。
これについて私は、この事件の犯人について、
自己顕示欲が高く、かつ身勝手な性格
と、本ブログで記述しました。

再び改めて、この事件の様な、
「身勝手な考えを持つ者による、身勝手な犯罪」
の撲滅に、日本及び世界各国の警察、政府は取り組んでほしいです。

関連書籍(Amazonからチョイス):
少女はなぜ逃げなかったか―続出する特異事件の心理学 (小学館文庫)



【2月14日 AFP】11歳で誘拐され18年間監禁されていた米カリフォルニア(California)州のジェイシー・リー・ドゥガード(Jaycee Lee Dugard)さん(29)が監禁中に記していた日記の一部から、ドゥガードさんが1人きりで孤独に苦悩していた日々が明らかになった。

 ドゥガードさんは18年間にわたり、フィリップ・ガリドー(Phillip Garrido)被告の裏庭の小屋に監禁されていたが、前年8月に発見されて世界中のメディアで話題となった。ドゥガードさんとガリドー被告との間には、2人の子どもが生まれた。

 ドゥガードさんの日記の抜粋は、検察側の資料として裁判所に提出された。ガリドー被告の弁護人がドゥガードさんと直接連絡をとろうとドゥガードさんの居所を探したことに反対するために提出されたもので、エルドラド(El Dorado)郡検察のバーン・ピアソン(Vern Pierson)検事は、ドゥガードさんがガリドー被告と連絡をとりたがっていないことはドゥガードさんの日記から明らかだと主張した。

 日記には、ガリドー被告に対する恐怖や、被告から自由になることへの絶望、また、ガリドー被告と被告の妻が200ドル(約1万8000円)の子ネコを買い与えてドゥガードさんを巧みに操ろうとした様子がつづられていた。

 米国の各社報道によると、ドゥガードさんは2004年の日記の中で「なんで自分の人生を自分で決められないの!自分の考えでさえ、それが自分のものかどうか確信が持てない」と記したという。

■自由への切望

 1993年の日記には、当時13歳だったドゥガードさんが、ガリドー被告夫婦がプレゼントしたペットに感謝している様子が描かれていた。「彼らは、ほかの誰もしてくれないことをしてくれた。200ドルも払って、わたしに子ネコを買ってくれた」

 それから10年後の2003年9月の日記には、ドゥガードさんの自由になることへの切望と、ガリドー被告への複雑な感情が明かされていた。

「彼を傷つけたくない。ときどき、わたしの存在が彼を傷つけているようにみえる」とドゥガードさんは告白した。「だとすれば、自由になりたいという気持ちを、どうやって彼に伝えればよいのだろう。わたしが願うだけで、自由がやってくればいいのに」

「家族がいることを伝えるのは自由。でも、これをできる限り抑え込めば、彼に苦しみを与えないで済む。自由」。

 しかし2004年後半ごろには、ドゥガードさんは気力を維持するのが困難になっていた。

「沈んでいくような感覚」とドゥガードさんは記す。

「やっぱり自分の人生を自分で決めたい。自分のしたいようにするわたしの人生のはず。でも、また、彼が奪っていった」

 検察側によると、ガリドー被告は拘束時に綿密な計画を立て、ドゥガードさんも弁護士を雇うことで「双方の弁護士を通じて、法的な知識がなくとも、互いに連絡がとれるようにしよう」と考えていたという。

 ピアソン検事は、ガリドー被告を「マスター・マニピュレーター(人心操縦の達人)」と呼び、ドゥガードさんがガリドー被告と連絡をとりたくない意志を示していると語った。(c)AFP


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