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「三国志」曹操の陵墓を発見、中国河南省 「魏武王」の文字<国際ニュース : AFPBB News> [地理・歴史全般]



こんにちは、こういちです

「三国志」の英雄として知られる武将、魏(Wei)の曹操(Cao Cao、155~220年)
の陵墓が、中国の河南(Henan)省で発見された、とのAFPBB News記事を、
本ブログに掲載します。

陵墓について


1.陵墓の所在地
中国・河南(Henan)省安陽(Anyang)市郊外(黄河に程近い位置)


2.陵墓の面積
約740平方m


3.発見された遺体

(1)60代男性の遺骨
(65歳で死去した曹操のものとみられる)

(2)50代と20代前半の女性2人の遺骨
(それぞれ曹操の妻とその付き人のものと考えられている)


4.出土品について

「魏武王が使用したもの」と刻まれていたものが多数
出土品の総数は250以上
(2008年に陵墓から盗掘されたとみられる石碑に、
「魏武王」の文字が刻まれていた)


5.陵墓の被葬者が魏の曹操であることに至った経緯について

(1)曹操は、208年から220年に65歳で死去するまで漢王朝(後漢、東漢)
において活躍し、三国時代の魏の基礎を築いた

(2)上記の陵墓から盗掘されたとみられる石碑に、「魏武王」の文字が
刻まれていたこと(これが陵墓発掘のきっかけとなった)、
陵墓の出土品に「魏武王が使用したもの」と刻まれていたものが
多数出土されていたこと

(3)上記の60代男性の遺骨が発見されたことにより、
これまでの鑑定結果などから曹操の陵墓であることが
確実になった


【12月28日 AFP】(写真追加)「三国志」の英雄として知られる武将、魏(Wei)の曹操(Cao Cao、155~220年)の陵墓が、中国の河南(Henan)省で発見された。国営英字紙チャイナ・デーリー(China Daily)が28日、報じた。

 陸墓の所在地は、黄河(Yellow River)に程近い同省安陽(Anyang)市郊外。河南省文物局の発表によると、陵墓の発掘は1年前から行われていたが、これまでの鑑定結果などから曹操の陵墓であることが確実になったという。

 陵墓は面積約740平方メートルで、60代男性の遺骨が見つかっており、65歳で死去した曹操のものとみられる。また、50代と20代前半の女性2人の遺骨も発見され、それぞれ曹操の妻とその付き人のものと考えられている。

 出土品の多くには、「魏武王が使用したもの」と刻まれていたという。出土品の総数は250以上に上る。

 陵墓の発掘は前年、陵墓から盗掘されたとみられる石碑に「魏武王」の文字が刻まれていたことから、文物局に報告され、本格的に始まったという。

 曹操は、208年から220年に65歳で死去するまで漢王朝(後漢、東漢)において活躍し、三国時代の魏の基礎を築いた。専制的との評価もあるが、戦略家として、また詩人としても優れていたとされる。(c)AFP


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写真で見る21世紀「最初の10年」<国際ニュース : AFPBB News> [地理・歴史全般]



こんにちは、こういちです

本ブログ601件目の記事は、AFPBB News配信記事、
『写真で見る21世紀「最初の10年」』です。

21世紀に入ってから最初の10年間
(2001年~2009年)
に起こった事件、事故、戦争などを、写真で振り返る、
というものです。

9.11テロ
イラク戦争
ローマ法王ヨハネ・パウロ2世(John Paul II)逝去
バラク・オバマ(Barack Obama)米大統領就任
四川大地震
北京オリンピック
ウサイン・ボルト(Usain Bolt)
世界金融危機
世界同時不況
etc.

2010年を前に、世紀の変わり目からこの10年間を写真で振り返る。

2001年9月11日、米同時多発テロ発生。写真はハイジャックされた1機目の旅客機が突っ込んだニューヨーク(New York)の世界貿易センタービル(World Trade Center、WTC)に近づく2機目のハイジャック機(2001年9月11日撮影)。(c)AFP/SETH MCALLISTER


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ベルリンの壁崩壊20年、各国首脳が式典に出席 市民10万人超集まる<国際ニュース : AFPBB News> [地理・歴史全般]



こんにちは、こういちです

昨日、
2009年11月9日
は、
1989年11月9日
「『ベルリンの壁(Berlin Wall)』崩壊」20周年

ドイツ現地時間2009年11月9日夜、独・ベルリンで
「『ベルリンの壁(Berlin Wall)』崩壊」20周年記念式典
が開催されました。

記念式典には、各国元・現首脳、政府高官が出席しました。

出席した各国元・現首脳、政府高官は、下記の人物です。

アンゲラ・メルケル(Angela Merkel)独首相、
ゴードン・ブラウン(Gordon Brown)英首相、
ニコラ・サルコジ(Nicolas Sarkozy)仏大統領、
ドミトリー・メドベージェフ(Dmitry Medvedev)露大統領、
ヒラリー・クリントン(Hillary Clinton)米国務長官、
欧州連合(European Union)加盟国代表団、
ミハイル・ゴルバチョフ(Mikhail Gorbachev)元ソ連大統領、
レフ・ワレサ(Lech Walesa)元ポーランド大統領、
など。

1000個の「巨大ドミノ」倒しに先立って、
元・現首脳、政府高官は、以下のコメントを語りました。

メルケル首相:
「ドイツ人だけの記念日ではなく、欧州全体の記念日だ」

バラク・オバマ(Barack Obama)米大統領
(動画メッセージによってコメント):
(抑圧的体制に立ち向かった旧東ドイツ国民の勇気に今でも刺激を受けるとし、)
「統一ドイツが(旧東ドイツの)ブランデンブルク出身の女性によって、
また、その同盟国である米国がアフリカ系男性によって率いられることを
予測した人はほとんどいないだろう」
「しかし、人間の運命は人間が作り出すものだ」

メドベージェフ露大統領:
(冷戦の終結はいかなる国の世界的優位性を正当化しないと、
明らかに米国をけん制する発言をし、)
「多極化した新世界への移行は今日、
欧州さらには世界の大部分の国にとって非常に重要だ」

【11月10日 AFP】ベルリンの壁(Berlin Wall)崩壊から20年を迎えた9日、ベルリン(Berlin)市内で記念式典が開かれた。式典には各国首脳らが参加し、10万人を超える市民らとともに祝意を表すともに、国際平和への脅威に対する大西洋を越えた取り組みを訴えた。

 今から20年前の1989年11月9日、旧東ドイツはついに東西を分断していたコンクリートの壁を開き、欧州での共産主義体制の終わりを決定づけた。

 旧東ドイツ育ちのアンゲラ・メルケル(Angela Merkel)独首相は、ゴードン・ブラウン(Gordon Brown)英首相、ニコラ・サルコジ(Nicolas Sarkozy)仏大統領、ドミトリー・メドベージェフ(Dmitry Medvedev)露大統領、ヒラリー・クリントン(Hillary Clinton)米国務長官のほか、欧州連合(European Union)加盟国の代表団らとともに、ドイツ統一のシンボルであるブランデンブルク門(Brandenburg Gate)をくぐった。

 冷たい霧雨が降る中、ミハイル・ゴルバチョフ(Mikhail Gorbachev)元ソ連大統領、ポーランドのレフ・ワレサ(Lech Walesa)元大統領も式典に参加した。

 メルケル首相は式典で、「ドイツ人だけの記念日ではなく、欧州全体の記念日だ」と述べた。

 式典では、バラク・オバマ(Barack Obama)米大統領の動画メッセージが映し出された。大統領は抑圧的体制に立ち向かった旧東ドイツ国民の勇気に今でも刺激を受けるとし、「統一ドイツが(旧東ドイツの)ブランデンブルク出身の女性によって、また、その同盟国である米国がアフリカ系男性によって率いられることを予測した人はほとんどいないだろう」「しかし、人間の運命は人間が作り出すものだ」と語った。

 一方、メドベージェフ露大統領は、冷戦の終結はいかなる国の世界的優位性を正当化しないと、明らかに米国をけん制する発言をした。「多極化した新世界への移行は今日、欧州さらには世界の大部分の国にとって非常に重要だ」と語った。

 同大統領はさらに、独誌シュピーゲル(Spiegel)に対し、ロシアはベルリンの壁崩壊当時は北大西洋条約機構(NATO)が東方に拡大することはないとの確信はあったものの、実際は拡大していることで、たびたび守勢な立場を感じることがあったと苦々しい思いを述べた。

 サルコジ大統領は、米ソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)「フェースブック(Facebook)」である意外な事実を明らかにした。フェースブックへの投稿によると、サルコジ氏は1989年11月9日にベルリンの壁にかけつけ、崩壊を目の当たりにした最初の1人になったとしている。ただ、この話については一部から疑問の声もあがっている。(c)AFP/Deborah Cole




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「ベルリンの壁」崩壊20年を祝う巨大ドミノ倒し<国際ニュース : AFPBB News> [地理・歴史全般]



こんにちは、こういちです

昨日、
2009年11月9日
は、
1989年11月9日
「『ベルリンの壁(Berlin Wall)』崩壊」20周年

ドイツ現地時間2009年11月9日夜、独・ベルリンで
「『ベルリンの壁(Berlin Wall)』崩壊」20周年記念式典
が開催されました。

記念式典に際して、
壁があった場所(壁の跡)に沿って1000個の「巨大ドミノ」が
並べられています

記念式典で、このすべての「巨大ドミノ」が倒されました
最初の1枚を倒した人物は、記念式典に出席した、ポーランドの
レフ・ワレサ(Lech Walesa)元大統領。

かつて存在した「壁」に見立てた巨大ドミノがすべて倒れることによって、
「『壁の無い世界』を永遠に祈る」
という思いが込められています。

「ベルリンの壁(Berlin Wall)」崩壊から20年を迎えた独ベルリン(Berlin)で9日夜、記念式典が開催され巨大ドミノ倒しが行われた。この日までにブランデンブルク門(Brandenburg Gate)周辺のかつて壁があった場所には、子どもたちを中心にして描かれた約1000個の巨大ドミノが並べられており、ポーランドのレフ・ワレサ(Lech Walesa)元大統領が最初の1枚を倒した。式典の最後には、色鮮やかな花火も打ち上げられた。

 写真は、ドミノ倒しの後に打ち上げられた花火(2009年11月9日撮影)。(c)AFP/JOHN MACDOUGALL




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ベルリンの壁崩壊から20年、写真でふり返る熱狂<国際ニュース : AFPBB News> [地理・歴史全般]


[↑2009/11/09/18:10記事ヘッダ写真コード差し替え]

こんにちは、こういちです

本日
2009年11月9日
は、
1989年11月9日
「『ベルリンの壁(Berlin Wall)』崩壊」20周年

激動の昭和が終わって、平成が始まった1989年当時
ベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツが統一するなど、全く考えられませんでした。
1989年11月のあの日、ベルリンの壁の上に東西ベルリン市民がよじ登り歓声を上げ、
他方では壁を削る市民が現れ、東西ベルリンを分かつ検問が廃止されたニュース映像を
見て(実際には、東西ベルリン間の自由往来解禁≒自由往来許可なのだが)、
最初は半信半疑でした。

やがでその映像が、ベルリンの壁崩壊と知って、絶対崩れることは無いと思っていた
ベルリンの壁が本当に崩壊したと実感したのでした。

日本で62年間続いた昭和が終わって、
欧州でベルリンの壁崩壊をきっかけに
冷戦終結が始まった1989年は、ある意味
「激動の年」と言えます。

独ベルリン(Berlin)の「ベルリンの壁(Berlin Wall)」崩壊から9日で20年を迎える。ベルリンの壁は1961年8月13日、東ベルリン市民による西側への亡命を防ぐため、当時の東ドイツ政府が建設した。

ベルリンの壁の歴史について研究を行っている「August 13 Association」によると、西側へ亡命しようとして東ドイツの国境警備隊員によって射殺された人の数は、ベルリンだけで255人、全体で少なくとも938人に上るという。

1989年11月9日、東ドイツ・社会主義統一党(Socialist Unity Party)中央委員会の高官、ギュンター・シャボウスキー(Guenter Schabowski)政治局員が、出国の制限を撤廃すると発表したことで崩壊への流れが決定づけられた。

写真は、取り壊されるベルリンの壁を見る西ドイツ市民(1989年11月12日撮影)。(c)AFP/GERARD MALIE


[↓2009/11/09/20:20AFPBB News記事『【図解】ベルリンの壁、残存する部分はわずか』追加]


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東西ドイツ分断の橋に博物館が開館、歴代各国首脳が見学<国際ニュース : AFPBB News> [地理・歴史全般]



こんにちは、こういちです

本日
2009年11月9日
は、
1989年11月9日
「『ベルリンの壁(Berlin Wall)』崩壊」20周年

「ベルリンの壁(Berlin Wall)」崩壊20周年の前日の2009年11月8日、
ベルリン(Berlin)とポツダム(Potsdam)を結ぶグリーニッカー(Glienicker)橋の
ポツダム側(すなわち、旧東ドイツ側)に、
「グリーニッカー橋博物館(Museum of the Glienicker Bridge)」
がオープンしました。

グリーニッカー(Glienicker)橋は、東西分断時代には封鎖されており、
西ベルリンと東ドイツとの間で捕虜交換を行う際にしばしば使われた、
とのこと。

博物館は、19世紀のシェーニンゲン(Schoeningen)地方の邸宅を
利用しています。

「ベルリンの壁(Berlin Wall)」崩壊20周年を翌日に控えた8日、ベルリン(Berlin)とポツダム(Potsdam)を結ぶグリーニッカー(Glienicker)橋のポツダム側に「グリーニッカー橋博物館(Museum of the Glienicker Bridge)」がオープンした。この橋は東西分断時代には封鎖されており、西ベルリンと東ドイツとの間で捕虜交換を行う際にしばしば使われた。博物館は、19世紀のシェーニンゲン(Schoeningen)地方の邸宅を利用している。

写真は同博物館を見学する(左から)ミハイル・ゴルバチョフ(Mikhail Gorbachev)元ソ連大統領、ヘンリー・キッシンジャー(Henry Kissinger) 元米国務長官、ハンス・ディートリヒ・ゲンシャー(Hans-Dietrich Genscher)元ドイツ外相(2009年11月8日撮影)。(c)AFP/DDP/MICHAEL KAPPELER


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ベルリンに巨大ドミノ1000枚登場、あす「壁」崩壊20周年式典<国際ニュース : AFPBB News> [地理・歴史全般]



こんにちは、こういちです

本年
2009年11月9日
つまり本日は、
1989年11月9日
「『ベルリンの壁(Berlin Wall)』崩壊」20周年

壁崩壊の本日には、独・ベルリンで「『ベルリンの壁(Berlin Wall)』崩壊」20周年記念式典が
開催されます。

記念式典を控えて、
壁があった場所(壁の跡)に沿って、
「巨大ドミノ」が並べられています
この1000枚の「巨大ドミノ」は、記念式典で倒されます

ドミノ板には、東ドイツの国民車「トラバント」を描いたものや、
「もう自由だ(FREE NOW)」と描かれたものなど、様々あります。

現在、このブログ記事を書いている6時間数十分後の、
日本時間(JST)2009年11月9日08:00には、
ベルリンは2009年11月9日00:00の時を刻みます。

ドイツのベルリン(Berlin)中心部で8日、あすの「ベルリンの壁(Berlin Wall)」崩壊20周年を前に、記念式典で倒される1000枚の「巨大ドミノ」の設営が進められた。巨大ドミノは、子供たちを中心に約1万5000人の参加者が描いた絵で彩られており、式典でポーランドのレフ・ワレサ(Lech Walesa)元大統領が最初の1枚を倒す予定。ベルリンの壁があった場所に沿って並べられている。

写真は、巨大ドミノを眺める人々(2009年11月7日撮影)。(c)AFP/JOHN MACDOUGALL


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東西ドイツ統一を英仏首脳は「快く思っていなかった」、当時の外交文書を公開<国際ニュース : AFPBB News> [地理・歴史全般]



こんにちは、こういちです

本年
2009年11月9日は、
1989年11月9日
「『ベルリンの壁(Berlin Wall)』崩壊」20周年

かつての冷戦時代、東西ドイツ統一は、イギリス、フランスから恐れられていたことは
周知の事実。
すなわち冷戦時代、「統一ドイツは欧州の脅威」と言われていました。

当該AFPBB Newsが報じている様に、この程新たに公開されたベルリンの壁崩壊当時の
外交文書は、上記の事を物語っています。

「フランスと英国は、手を取り合って新しいドイツの脅威に向かうべきだ」
「コール(首相)は別人になってしまった。彼はもはや自分というものを知らない。彼は自分を『マスター』と勘違いし、マスターであるかのように振る舞い始めている」
:
1990年3月、マーガレット・サッチャー(Margaret Thatcher)英首相(当時)がフランスの駐英大使に送った外交電報
(当該AFPBB News報道、公開されたフランスの外交電報より)


「英国も西欧もドイツの再統一を望んではいない。戦後の勢力地図が変わってしまうことは容認できない。そんなことが起こったら国際社会全体の安定が損なわれてしまうし、われわれの安全保障を危うくする可能性がある」
:
ベルリンの壁崩壊の2か月前、マーガレット・サッチャー(Margaret Thatcher)英首相(当時)がソ連(当時)のミハイル・ゴルバチョフ(Mikhail Gorbachev)書記長(当時)に語った文言
(当該AFPBB News報道、公開された英国の資料による)


更に、当該AFPBB News記事は、こう締めくくっています。
冷戦時代の考え方と、第2次大戦(World War II)時に強国ドイツに大いに辛酸をなめさせられた経験にとらわれてしまった2人の指導者(マーガレット・サッチャー(Margaret Thatcher)英首相(当時)、フランソワ・ミッテラン(Francois Mitterrand)仏大統領(当時))は、欧州の政治がこのように速い変化を遂げるとは、想像だにできなかったのだ。


【11月4日 AFP】ベルリンの壁(Berlin Wall)が崩壊して20年、新たに公開された当時の外交文書は、ドイツと仲が良いとされるロンドン(London)とパリ(Paris)の友人たちが「東西ドイツ統一」を恐れていたことを如実に物語っている。

 当時のマーガレット・サッチャー(Margaret Thatcher)英首相は、冷戦時代において、壁の崩壊に象徴される西側の勝利を導いたヒロインであると称賛されているかもしれない。しかし実際には、東西ドイツが統一する可能性は、彼女を恐怖で震えさせていた。

 当時のフランソワ・ミッテラン(Francois Mitterrand)仏大統領は、欧州統一を目指す運動において、西ドイツのヘルムート・コール(Helmut Kohl)首相の親友であり盟友であると見なされていた。だが実際には、壁が崩壊した1989年、彼はドイツ統一を予期していなかったし、支持もしていなかった。

 その後のドイツ統一プロジェクトの成功、そしてフランスが現在ドイツと親密な関係にあることを考えるならば、今回公開された文書は英仏の一部のベテラン政治家たちにとって、大変居心地が悪いものかもしれない。

■統一ドイツの超大国化が心配

 壁崩壊20周年にあたり公開されたフランスの外交電報によると、サッチャー首相は1990年3月、フランスの駐英大使にこう語っている。「フランスと英国は、手を取り合って新しいドイツの脅威に向かうべきだ」

 彼女は次のような警告も発している。「コール(首相)は別人になってしまった。彼はもはや自分というものを知らない。彼は自分を『マスター』と勘違いし、マスターであるかのように振る舞い始めている」

 文書の公開に携わったフランスのある歴史学者は、「サッチャーは、ドイツが統一により欧州の超大国になるという可能性に、恐れをなしていたようだ」と話す。

 英国の資料によると、壁崩壊の2か月前、サッチャーは冷戦時代の敵であったソ連(当時)のミハイル・ゴルバチョフ(Mikhail Gorbachev)書記長に次のように語り、西欧の同盟国たる西ドイツの「統一という野望」をくじく手助けをするよう、暗に協力を求めていた。「英国も西欧もドイツの再統一を望んではいない。戦後の勢力地図が変わってしまうことは容認できない。そんなことが起こったら国際社会全体の安定が損なわれてしまうし、われわれの安全保障を危うくする可能性がある」

 一方フランスでは、ミッテラン大統領の側近、ジャック・アタリ(Jacques Attali)氏もドイツ統一に反対していた。英国の資料によると、アタリ氏は壁崩壊の1か月後にゴルバチョフ大統領の側近であるヴァディム・ザグラディン(Vadim Zagladin)氏とキエフ(Kiev)で会談し、ソ連が東ドイツ側の再統一運動を阻止するために介入しなかったと不満をもらした。

 そしてアタリ氏は4か月後の1990年4月、間近にせまったドイツ統一について、ミッテラン大統領に「避けられない事態(=ドイツ統一)が発生してしまったら、火星に行って生活するよ」と話したという。その彼は皮肉にも、欧州復興開発銀行(European Bank of Reconstruction and Development)の初代総裁となり、冷戦後の東欧を支援する基金を創設することになる。

■統一ドイツはヒトラー以上に恐ろしい?

 ミッテラン大統領とサッチャー首相は、互いに、個人的な懸念を口にしたことがある。

 サッチャー首相の側近のメモによると、1990年1月、ミッテラン大統領はパリで行われた夕食会で、サッチャー首相に次のように漏らした。「統一ドイツは、ヒトラー(Hitler)以上の力を持つかもしれない」

 冷戦時代の考え方と、第2次大戦(World War II)時に強国ドイツに大いに辛酸をなめさせられた経験にとらわれてしまった2人の指導者は、欧州の政治がこのように速い変化を遂げるとは、想像だにできなかったのだ。(c)AFP/Anne-Laure Mondesert


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「ベルリンの壁」崩壊20周年の記念行事、当時の米独ソ首脳が出席<国際ニュース : AFPBB News> [地理・歴史全般]



こんにちは、こういちです

本年2009年11月9日は、
「ベルリンの壁(Berlin Wall)」崩壊20周年

これに先立って2009年11月1日、壁崩壊(1989年11月9日)当時の独米ソ3首脳、

ヘルムート・コール(Helmut Kohl)元西ドイツ(当時)首相(79)(在任期間:1982年~1998年)、
ジョージ・H・W・ブッシュ(George H.W. Bush)元米大統領(85)(同:1989年~1993年)、
ミハイル・ゴルバチョフ(Mikhail Gorbachev)元ソ連大統領(78)(同:1985年~1991年)

が、「ベルリンの壁」崩壊20周年記念行事に出席しました。
本記念行事には、

各国大使、
アンゲラ・メルケル(Angela Merkel)現ドイツ首相、
ハンガリーのミクローシュ・ネーメト(Miklos Nemeth)元首相、
ポーランドのタデウシュ・マゾビエツキ(Tadeus Mazowiecki)元首相

などの要人も出席しました。

ソ連消滅、東西ドイツ統一(ドイツ再統一)につながった「ベルリンの壁」崩壊20周年となる
2009年11月9日には、「自由祭(Festival of Freedom)」と題された記念式典が行われます。
メルケル首相が主催するこちらの式典には、

ポーランドのレフ・ワレサ(Lech Walesa)元大統領、
英国のゴードン・ブラウン(Gordon Brown)首相、
フランスのニコラ・サルコジ(Nicolas Sarkozy)大統領、
ヒラリー・クリントン(Hillary Clinton)米国務長官

などの参加が予定されています。

1989年当時、ベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツが統一するなど、全く考えられませんでした。
1989年11月のあの日、ベルリンの壁の上に東西ベルリン市民がよじ登り歓声を上げ、
他方では壁を削る市民が現れ、東西ベルリンを分かつ検問が廃止されたニュース映像を
見て(実際には、東西ベルリン間の自由往来解禁≒自由往来許可なのだが)、
最初は半信半疑でした。

やがでその映像が、ベルリンの壁崩壊と知って、絶対崩れることは無いと思っていた
ベルリンの壁が本当に崩壊したと実感したのでした。

【11月1日 AFP】ドイツ・ベルリン(Berlin)で31日、「ベルリンの壁(Berlin Wall)」崩壊20周年を記念する行事が行われ、会場となったフリードリッヒシュタットパラスト(Friedrichstadtpalast)劇場に冷戦終結の立役者となったヘルムート・コール(Helmut Kohl)元西ドイツ(当時)首相(79)、ジョージ・H・W・ブッシュ(George H.W. Bush)元米大統領(85)、ミハイル・ゴルバチョフ(Mikhail Gorbachev)元ソ連大統領(78)ら、懐かしい顔がそろった。

 各元首脳の在任期間は、コール氏がドイツ再統一後を含む1982年から98年、ブッシュ氏が1989年から93年、ソ連最後の大統領となったゴルバチョフ氏が1985年から91年。

 行事には各国の大使、アンゲラ・メルケル(Angela Merkel)現ドイツ首相を始め、ハンガリーのミクローシュ・ネーメト(Miklos Nemeth)元首相、ポーランドのタデウシュ・マゾビエツキ(Tadeus Mazowiecki)元首相などの要人も出席した。

 ブッシュ氏がコール氏の偉業を称え、ゴルバチョフ氏は式典に姿のない2人の政治家、英国のマーガレット・サッチャー(Margaret Thatcher)元首相(84)とフランスの故フランソワ・ミッテラン(Francois Mitterrand)元大統領(1996年に79歳で死去)に思いをはせた。「サッチャー、ミッテランとわたしは当時、2つのドイツを支持していた。ヘルムート(・コール氏)にはすまなかったが、当初、わたしと彼は、あまり良い関係になかった」(ゴルバチョフ氏)

 最近になって機密指定が解かれた公式文書でも、東西ドイツ統一の動きに対して、英国は反対しフランスは懸念を抱いていたことが明らかになっている。

 ソビエト連邦の消滅、東西ドイツの統一につながった「ベルリンの壁」崩壊20周年となる9日には、「自由祭(Festival of Freedom)」と題された記念式典が行われる。メルケル首相が主催するこちらの式典にはポーランドのレフ・ワレサ(Lech Walesa)元大統領、英国のゴードン・ブラウン(Gordon Brown)首相、フランスのニコラ・サルコジ(Nicolas Sarkozy)大統領、ヒラリー・クリントン(Hillary Clinton)米国務長官などの参加が予定されている。(c)AFP


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遺体焼却に使用された棚を発見、アウシュヴィッツの火葬場跡<国際ニュース : AFPBB News> [地理・歴史全般]



こんにちは、こういちです

人類の「負の遺産」として、世界遺産に登録されている

「アウシュヴィッツ・ビルケナウ(Auschwitz-Birkenau)強制収容所」

において、火葬場跡で陶製の棚が発見された、とのAFPBB News
記事を掲載します。

【10月15日 AFP】ナチス(Nazi)ドイツのアウシュビッツ・ビルケナウ(Auschwitz-Birkenau)強制収容所にある火葬場跡の保守作業中に、ユダヤ人を中心とする収容者らの遺体を載せて焼いていたとみられる棚の破片を発見したと、アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館が14日明らかにした。

 ポーランド南部オシフィエンチム(Oswiecim)にある同博物館によると、棚は陶製で、火葬場跡の地面に埋まっていた。発見された破片には、何回も使用され、極度の高温にさらされていた形跡が残っているという。また、1945年1月のソ連赤軍の進攻にともない、敗走するナチス軍が火葬場を破壊した際の傷もついているという。

 発見された棚の破片について、同館は「ホロコーストの恐怖に直接結びついたもの」とコメントしている。

 なお、同館は、このような火葬用の棚をすでに1台収蔵している。(c)AFP



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